2006年 2月 
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生まれる前から不眠症・・・・・・・・・
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2月9日 くもり

 しかし今日はかなん寒さやね・・・・・・。だいぶ寒い。。。

 

 

 まあせやけど会社は休みやったんで、ラッキーやったわ。いつも通り目が覚めてんけど、午前中はまあノンビリしてて、

昼メシ喰いに外に出た。選んだお店は南堀江の「シュハリ」!!! ランチコースをいっといた。

 

 「カレーランチ サラダ・カフェ付」850円にした。このカレーが今日はチキンカレーやってんけど、メッチャうまかった!!!

単品やとこれが500円という凄まじいコスパやねん。しかしこのカレー、スパイスとかも利いてて実にエエカンジ!!!

 

 

 食後はエスプレッソにしておいた。ここらへんのカフェのランチってどこもよさげやね。去年食べたジゼルカフェの

カレーも確か良かったわ。カフェのカレーって何かそのお店のプライドを感じるわ。。。

 

 

 

 えーっと、それから2日前の日本語の使い方について、ちょっとエエメールが来たんで、そのまま載させてもらいます。

 

 

 『おられる』に関しては別の見解もあります。

 

 「おられる」について結論からいうと、


●「私ならここにおります」と、自分に使うのは正しい用法。


●「横井先生はおりますか」と、敬意を表すべき相手に使うのは誤用。
 

●「今、水瀬社長はおられますか」は、誤用とも正しい用法ともいえる。
 

ということになります。
 



 「おる/おります」というのは、「いる/います」を丁寧に表現したもので、厳密には尊敬の意味は含まれていません。




●「鳥、岩の上に集まりをり・・」(鳥が岩の上に集まってじっとしており・・土佐日記)



 「をり」は、もともと、物事が継続している状態をあらわすことばで、上の例のように「おる」は動詞の後ろについて、

その動作の継続を慎み深くあらわす性質をもっていました。その後、ある状態にじっと固定されている=縛られている、

我慢する立場、という意味あいから自分を卑下する語=謙譲語としても使われるようになりました。

 

 

 「”おる”は謙譲語だ」と定義すると、相手側の動作に使うのは正しくないといえます。

 


 敬語は人間を対象にしか使われません。あくまでも、対人関係を表す表現だからです。ですから、「鳥がおる」

「雨が降っております」は、単なる丁寧語の「おる」です。

 

 同じ用法の「私はここにおります」も、丁寧語の「おる」が本来の意味のはずですが、この言葉に丁寧さを超えた敬意を

感じるようになり謙譲語の「おる」としても使われるようになりました。この丁寧語の「おる」から謙譲語の「おる」へと変化した

ことによって言葉の使い方がまだ混乱しています。

 

 丁寧語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と使うなら、丁寧語+尊敬語の形は語法上矛盾しないし、

正しい表現だといえるでしょう。


 一方で、謙譲語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と考えるなら、謙譲語+尊敬語で矛盾した敬語の重なり、

という点で、誤用だといえます。

 



 関西地方を中心に尊敬の意味で「おられる」が使われているので、もう「おられる」は尊敬表現として定着しているといえる

と思います。

 

 http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/c01c21.htm ←引用HP
 

 

 

 非常に勉強になりました。また参考になるサイトのご紹介どうもありがとうございます。


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